2009年01月29日

東西ドイツ統一事件の影響

どのような影響があったのでしょうか。

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ベルリンの壁崩壊はソ連・東欧を含めた世界中から祝辞を送られ、次の政治目標には、東西分裂以降ドイツ人にとっては悲願である東西ドイツ統一が設定され、その気運が高まった。ソ連の指導者であったミハイル・ゴルバチョフはドイツ統一には時間がかかると想定していた上に、東ドイツがNATOに参加することを恐れていた。アメリカ合衆国大統領であったジョージ・H・W・ブッシュも、統一がそれほど早い時期に実現するとは考えていなかった。西ドイツ首相のコールですら、早急な統一には無理が生じると考えていた。

しかしながら、東西ドイツの統一はアメリカ、ソ連、そして西ドイツ首脳が考えていたよりも、はるかに速いスピードで進められた。この驚異的なスピードで進んだドイツ再統一の原動力は、ベルリンの壁が崩壊した事によって生み出された「歓喜」と「感動」以外の何物でもなかった。翌年、東ドイツにおいて最初で最後となる自由選挙が行われ、速やかに東西統一を求める勢力が勝利すると、それまでの社会主義統一党政権が主張していた東西の対等な合併ではなく、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する方式(東ドイツ4州が自発的にドイツ連邦共和国に加入する)で統一が果たされることに決定した。

結局、ベルリンの壁崩壊から1年も経たない1990年10月3日東西ドイツは正式に統一されることになった。なお、統一式典ではルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」が演奏された。

しかし、この「感動」と「歓喜」の情熱の渦はコールが想定したとおりの弊害をもたらした。東ドイツでは1989年11月19日以降、自分達は二つに分裂したうちの片方である「東ドイツ国民」ではなく、統一された「ドイツ国民」であると言う意識が大きくなっていった。これが早急なドイツ統一を支持する背景となった。統一後の経済的な不安が想定されて然るべきであるが、壁の崩壊直後に西ドイツ政府が西ドイツを訪問する東ドイツ市民に対して渡した一時金はこの不安をかき消す事を助長した。

ドイツの再統一は東ドイツ市民を無条件で裕福にするかのような幻想を生み出した。結局「ドイツ再統一」のスピードが余りにも速すぎたことは、その後の経済的混乱によって実証される事になった。世界屈指の経済大国であった旧西ドイツと旧東ドイツの経済格差は一時的な幻想では覆い隠せないほど歴然たるものが存在した。現在でも東西の所得格差は残されたままである。また、旧東ドイツでは資本主義に適応できなかった旧国営企業の倒産によって失業者が増加し、旧西ドイツでは旧東ドイツへの投資コストなどが足かせとなって景気の低迷を招いた。このため東西双方で市民の間に不満が高まることになった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』